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木の上を見上げてみよう

エゾリスを漢字で書くと蝦夷栗鼠という和名になりますがこれは、日本の鳥類学者であり侯爵であった黒田長礼によって付けられました。黒田長礼は正字では長禮と言い、筑前福岡藩の第12代藩主黒田長知を祖父に持ち、父は貴族院副議長を務めた 黒田長成侯爵で母は薩摩藩の最後となる第12代藩主である島津忠義の娘の清子です。さらには息子の黒田長久も鳥類学者となり、日本で唯一の鳥類専門の研究所である山階鳥類研究所の2代目の所長を務めます。山階鳥類研究所は沖縄などに生息するヤンバルクイナの発見などで知られます。創立者の山階芳麿が元皇族であることから皇室との縁が深く、2011年の春には秋篠宮文仁親王が総裁を勤めます。渋谷区南平台町の山階芳麿の自邸に設けたのが始まりでしたが現在は我孫子に移転しています。なお本人の黒田長礼自身はというと中西悟堂や内田清之助、鷹司信輔、先の山階鳥類研究所の創立者の山階芳麿とともに日本野鳥の会の設立発起人となっており、1964年に紫綬褒章を、翌年には叙勲三等授瑞宝章を受賞しています。さてエゾリスに話を戻しましょう。蝦夷栗鼠の名が付けられる前にもこの種が生息していることは知られており、猟師や山子などの間では、木鼠と呼ばれていました。その活動エリアは巣が中心となりますが、特定の巣に執着することはなく、活動エリアも他の個体と重なっていることから個体間には序列が見受けられます。冬になると1つの巣を2,3匹で仲良くかどうかは分かりませんがシェアしていることがあるようです。しかしながら基本的には単独での行動をとっている彼ら彼女らも、交尾や子育てのシーズンや親離れしてしばらくの間は兄弟達と過ごします。エゾリスは主に昼の間に活動をしていますが、その活動時間帯も日照時間の異なるシーズン毎に異なっていて、暖かくなり始めの春には朝から動き始めますが、比較的暖かい夏は日が登って明るくなれば活動を開始し陽が落ちるまで元気に活動します。小型の動物には辛い季節でもある寒い秋になるともはや暖かい日中に行動をするようになり、真冬でも冬眠せずに活動しますが、今度は朝なのですがもちろん例外はつきもので、他の時間帯にも活動が確認されています。基本的には雄であろうが雌であろうが主に広葉樹でできる樹皮が剥がれ落ちて木の中が腐食するなどの隙間が開いたことで形成されたホラ穴的な空間を利用することもあり、自ら作るときには樹幹と枝の又の部分に作ることが多く見られます。巣の中はどうなっているかというと、乾燥して柔らかい植物系を選んで作っていることが多く具体的には苔や枯れ草、枯れ木の樹皮の内側部分を自らの可愛らしい手で身で丁寧に解して作っているのです。エゾリスが天敵に気づいたときのどうするかというと、天敵となる相手がエゾリスから安全と思われる距離まで離れて行くまで動きを止めて、先のナキウサギとは違って天敵にばれないようにするのです。この為に鳴き声を聞いた人はあまりいないのですが、鳴くときは何らかの原因で興奮したときでシュシュッとかズューズューとかグフウーと鳴いているそうです。さて天敵が離れたと判断するまでの時間は、長いと1,2時間頑張っちゃうこともあります。エゾリスは林があれば公園でも生息することができる環境順応力を備えているので、逆に北海道などに多い立派な公園では巣箱などが設置されそこにちゃっかりと居を構えていることがあります。その為に道民達、あるいは観光客でもよく見かけることができますから、機会があれば木の上を見上げてみましょう。エゾリスは基本的に雑食です。多くは植物系で樹木の花や芽、葉、種子、果実、樹液といったものなのですけれど、キノコ類ではなんとドクベニタケも餌にしてしまいます。昆虫も食べることがあり幼虫や柔らかい繭、エゾハルゼミの成虫といったものが確認されています。エゾリスの繁殖シーズンというのは多くは2月下旬〜7月下旬だと言われており、その出産シーズンは4月上旬〜8月であると考えられています。妊娠シーズンはおよそ40日程度で、1度に産む数は大抵の場合1〜7匹と見られており、中でも多くの場合は3,4匹だと考えられています。そうして1匹が出産するのは繁殖シーズンの中で1回が普通で多くても2回だと見られています。子育てはメスだけで行ないます。子どもを宿した雌や育ち盛りの子どもの場合は鳥の卵を食べていることが分かっています。エゾリスはそういった食べ物が少なくなる冬に向けて、保存性の高い団栗や胡桃といったものを土中に貯蔵する行動が見られます。雪が降る季節になると、雪が降り積もった後に雪融けの春まで融けずに残る固い雪を50〜60cmくらい掘って、潜りこんで貯めておいた団栗を取りだして食べます。そういった行動に体も適応をみせており前肢の指が長くしっかりと我が食料を掴むのです。